亡き王女のためのサヴァーヴ

録っておいた爆笑問題×教授の奴を観たけど、某所のレビューどおり、やはりコンテクスト格差問題極まってましたなぁ。
ある世代以降はほとんどそうなってる気がするけど、間違っても彼がまともな奴じゃなく、全部戦略的に振舞ってるってことを解ってない人が多いんじゃないか。
まぁまず千のナイフのライナーノーツ読めと。
これまたSF的想像力と通底してるとおもうけど、ペシミズムとオプティミズム紙一重的な感覚というか。


あと汗臭い音楽は嫌になっちゃうとかジャージで一人で飯食ってる奴が嫌い発言とか色々有名ですわな。


コミュニケーションツールとしての歌謡、ポップス(と歌詞の意味性)興味ないわー、あと「グリース」引くわー的に振舞ってたけど決して理解はしていないわけはない。同時代的な仕事の数々見れば明らか。


きっと今はさておき70年代の達郎、ユーミンは今なお有効でもサザンはハナからどうでもいいわ、だと思いますね教授は。
申し訳ないながら僕がそうなんですけども・・・。
バブリー期なユーミンはまた別ですが。
ともかく本質的に両立できる気がしないなぁ、達郎、ユーミン的なるもの/サザン的なるもの。
ベターデイズに顔出してた人間が言うことじゃないんですが・・・。


あと爆問、ケージのあれぐらい知らないのはまずい。
でも最後、ナチスネタを引っ張ってきたのはナイス。
先日僕が書いた最大公約数的に人心を操れるサウンドに通ずる話。


結局、格差問題は音楽、音そのものの身体性に自覚的になるかどうかがでかいと思うんだがどうか。


parakeets君のDJで聴かせてもらったMono Fontanaが恐ろしい!
お前マジでゲーム音楽経由じゃないの?!っていう。
imoutoidに教えてあげたかったなこれは。
やっぱり暖かみあるシンセは永遠や・・・。
そういや電脳コイルサントラの次回予告曲だったかの「不思議な声」は結構これっぽい。


こういう突然変異的音楽が可能なら、以前友人に提案した「ド郊外のジャスコサウンド経由でソフトロック的ハーモニー感覚を血肉化したアーティスト」が出現する日も近い気がしますね!
CD買うにしてもジャスコでベスト盤、的な。